2000年 創刊号
   Vol-1

TOPページへ
 目次

1.新会長就任のご挨拶

2.特集・私の体験談 I

  喘息 

  骨肉腫

3.リ・ボーンの会会員がインターネットで体験を報告

4.編集後記

新会長就任のご挨拶

宮津紗季

 「冬来たりなば、春遠からじ」と申しますが、皆さま如何お過ごしでしょうか。西暦二千年は、コンピュータ問題が心配されましたが、ことのほか安泰に年が明け、よろしゅうございました。リ・ボーンの会もこの二千年の幕開けに合わせるかのように、心機一転再スタートいたします。これに伴い、高橋前会長よりご推薦をいただきましたので、今年度より私が会長を努めさせていただくことになりました。まだまだ未熟者ではございますが、何卒よろしくご指導、ご鞭縫のほどお願い申し上げます。

 私は医療期間で長く勤務をいたしておりました。その経験を高橋前会長がお認めになってのご推薦ではないかと思います。私のささやかな経験が皆さま方に少しでもお役に立てば、この上ない喜びでございます。

 さて、就任に当たりまして、当会機関紙「リ・ボーン」も紙面を一新し、号数を敢えてVol.1としまして、これまた再スタートいたします。題字には淺見先生直筆によります「RE・BORN=リ・ボーン」の文字を配しました。「リ・ボーン」とは「リ」再び、「ボーン」生まれる、と訳されます。つまり、病気回復によって再び明るく健康な人生が始まるという意味で、淺見先生のご意思が込められた言葉です。

 内容面では皆さま方の体験談を中心に構成いたしてまいりたいと思います。その取材、編集は秋山さんが担当して下さることになりました。皆さまのご支援、ご協力をお願い申し上げます。

 さらに、医学上のアドバイスは平原クリニツク院長・平原哲也先生にサポートして頂けることになりました。リ・ボーンの会の心強い相談室となっていただけるでしょう。

 今号では、「喘息」「骨肉腫」の二つの病気を取り上げました。このような体験者の声を、健やかな毎日を送るための参考にして頂ければ幸いです。皆さまのご健康とお幸せを祈りつつ、会長就任のご挨拶とさせていただきます。


 私の体験談 I
 
<喘息> <骨肉腫>

特集・私の体験談。今回は喘息、骨肉腫を見事克服された二人の方の体験談です。 一言アドバイスは平原クリニック院長の平原哲也先生です。


喘息
横浜市中区 岡崎さんの場合
36歳になる娘さんの喘息についてお母様にお話を伺ぃました。
喘息とは
 気管支のアレルギーによって呼吸困難(主として息を吐き出すのが困難)が発作的におこる病気です。喘息には発作型と慢性型があり、季節の変わり目、朝方におこりやすく、笛のような呼吸音(喘鳴・ぜいめい)と、粘っこい透明の痰が出ます。気管支の収縮により、空気の流入が減少(低酸素)し、唇や爪が青紫色になるチアノーゼ、坐ったままで呼吸しないと苦しくなる起坐呼吸が特徴です。慢性型は一年中発作を繰り返し、重症になることもしばしばです。

 治療はアレルギー源を除去することが根本的に必要ですが、気管支拡張剤を基本に治療が行われます。効果のない場合、ステロイド療法が使用されます。
 重症の発作には副腎皮質ホルモンが必要ですが、安易に使うとステロイド依存症となり、治療上の大きな問題となっています。


娘さんが気管支喘息を発症されたのは中学二年の時
 
夜中勉強中に突然苦しみ出し、近所の病院で診察してもらったところ“心臓病”と診断されました。その時お母様は「心臓病なら汗をかくだろうに、汗もかいていないのにおかしい」と思い、後日市立病院を受診させ、検査の結果“喘息”と判明しました。しかし何故かその後、喘息の症状はピタリと止んだのだそうです。
 その後、高校を卒業し、社会に出て、間もなく結婚しました。

再び喘息の病状が現れたのは一人目の出産後からでした
 二人目で更に重くなり、三人目の出産でとうとう入院となってしまったそうです。その間お母様は人から聞いてよいといわれるものをいろいろ娘さんに試したのです。
 「あるプルーン健康食品を一年半位続けましたが全然効き目がありませんでした。それからK大学の漢方医として有名な先生に漢方薬を処方してもらいました。これは効き目がありましたので、先生が『症状を抑えるだけでなく今度は根治を目標にしましょう』と、途中から処方の内容を変えられました。これがいけませんでした。娘の体に合わなかったのです。結果的には前よりもひどくなってしまいました。
 それから病院での治療はステロイドでした。これは大変副作用が強く足が丸太の様に膨れあがり、そこからは水が滴り落ちるんです。可哀想で見ていられませんでした」と述べています。

非アルコールのプロポリスを是非探して
 当時ガンで入院していた甥御さんからそう頼まれたのが、非アルコールプロポリスを知ったきっかけでした。娘さんも人退院を繰り返していた頃で、二人のために懸命にいろいろなお店を訪れ探したそうです。
 しかし、非アルコールプロポリスは店頭では販売していないため、なかなか見つかりません。ところが、岡崎さんの手元に一冊の小冊子「プロポリス健康法」が親戚の方から届きました。この小冊子から非アルコールプロポリスにたどり着くことが出来たのだそうです。
 「さっそく10cc飲ませると三日後には喘鳴が全く聞こえなくなりました。その後は娘が朝仕事に出かける時にオレンジジユースとプロポリス5ccを混ぜ合わせたものを持たせ、帰ってからまた5cc飲ませるようになると普段の生活はだいぶ落ちつくようになりました」
 しかし毎年秋になると入院生活を送らなければならず、その日数も十日間から二週間、三週間とだんだんと長くなっていったのです。
 やがて体調の悪化に伴い、プロポリスを全く受け付けなくなってしまい、去年は八月から九月にかけてニケ月間入院しました。
 退院後は仕事の諸事情で休みをとれず出社するものの、一日出勤しただけで調子が悪くなり再入院という状態でした。更に十月から十一月にかけて再びニケ月間の入院生活となったのです。

一日30cc飲むようになって
 「非アルコールプロポリスでもだめかしら」と思い始めた今年になって、「一日30cc飲むように頑張れば必ずよくなりますよ」と言われ、そのことを娘に話すと娘もやる気になってくれたので、さっそく実行にうつしました。するとどうでしょう。みるみるうちに目に見えてよくなっていったのです。かつては一日に五、六回は使っていた吸入器を今は全然使わないのです。
 「それになによりもびっくりしているのは、今までは台風シーズンになると決まって『お母さん天気予報ちゃんと見といてよ!いまに台風がくるから』と言ってました。予報を注意して聞いていると、なるほど娘が言った日かその翌日に日本のどこかで必ず“台風○号発生”というニュースを耳にしてきました。きっとなによりも早く体の変調で季節の移り変わりを察知していたのでしょう。ところが最近ではこちらの方から『台風が来るみたいよ』と言っても『そう』と知らん顔です」
 今は一日20ccを野菜ジユースと混ぜて飲んでいて、体の調子は良い様です。大型トレーラーを運
転しているそうですが、その仕事景は男の人も顔負けだそうです。「『あなたの病気を治す為にかかった費用で家が一軒位建ったわね』というと『そうね』としらっとした顔で言うんですよ」とおっしゃるお母様ではありましたが、その声からは二人三脚で病気を克服したという喜びと安堵がひしひしとこちらまで伝わってまいりました。

一言アドバイス 

 気管支喘息は気管支のアレルギーによって引き起こされる病気です。アレルギー反応の結果、気管支が膨張し内腔が狭<なり、呼吸の呼気が障害され呼吸困難となる病気です。この方のケースでは、毎年秋になると調子が悪<なっているので気候による気温の変化、秋の植物が原因と考えられます。アレルギーの病気では、まずアレルギーの原因を除去することが大切です。治療の中心は気管支拡張剤ですが、重症になればステロイド治療が必要となります。しかし、副作用が強いのが欠点です。非アルコールプロポリスは、抗アレルギー作用、体質改善作用を持ち、喘息などのように長期的治療が必要な病気には、服用量を調節しながら維持すると副作用もなく良好な場合が多いようです。

目次へ↑

骨肉腫
栃木県栃木市 高田さんの場合
68歳になるお母さんの骨肉腫について、娘さんに伺いました。
骨肉腫とは
 骨から発生する(骨原発性)悪性腫瘍としてはもっとも多い病気で、男性に多く、好発年齢は10代(均年齢16歳)で、60%を占めます。好発部位は大腿骨で全体の50%を占め、次いで頚骨の23%です。
 骨肉腫は、早期から骨髄内より骨皮質を破壊して骨外へ浸潤し、また曲流を介して肺に転移しやすいため、早期の診断と治療が必要です。
 症状は局所の疼痛、腫張ですが、診断される頃には肺などに転移のあることが多<みられます。
 治療は手術(患肢切断)が中心で、化学療法を術前あるいは術後に併用することが多いようです。現在では患肢(腫瘍のある腕や足)は可能なかぎり温存されるようになっていますが、膝関節周辺などでの進行したケースでは切断や関節離断がなされます。
 抗がん剤による化学療法は手術後も1年間は続けられ、その間に肺に転移の認められたケースでは、肺切除の手術がおこなわれる場合もあります。

 高田さんが足の左膝に“何かある”と気付いたのは平成元年のことでした。それは脂肪のかたまりのようなもので、普段は特別な痛みもなく、ただ何かにぶつけると痛いと感じる程度のものだったのでそのまま放っておいたのだそうです。するとそれがだんだん大きくなり、平成六年四月、クリニックで受診すると、特に検査も医師からの説明もなく“その部分”を二センチ切り取られました。
 その後切り取ったはずの脂肪腫が再び出来、五センチ位の卵形の大きさになったので、平成六年十一月S病院で再手術を行いました。しかし平成七年一月には脂肪腫が再び大きくなり、同病院へ。そこで初めて“これはおかしい”ということになり医大病院へ紹介状を書いてもらったのです。
 平成七年三月、医大病院へ入院し、検査の結果丿鍔肉腫〃と判明しました。「先生からは『かなり悪性の肉腫ですので、一番安全な方法としては片足を切断することです』という説明を受けました。私と兄はなんとか足を残してやりたくて『とれる範囲で』とお願いしました。ちょうどその頃主人の知人から非アルコールプロポリスのことを聞き、手術の二週間前から一日50cc、牛乳と混ぜて母に飲ませました。母は病気を治そうと一生懸命飲んでくれました」

 しかし、手術前に抗ガン剤を一本投与され気分が悪くなり、一時的に飲めなくなったのですが、やがて一日30cc飲めるまでに回復しました。そして、平成七年四月五日手術。足を切新しないかわりにかなりの範囲(左膝ヒ下ト五センチの三日月形)で切り取ることになりました。そこに右股の内側より植皮しました。
 手術そのものは成功したのですが、病院側の不注意で術中細菌に感染し、患部は壊疸になってしまいました。「壊疸は熱を出すのが普通だそうですが、母は熱が出ませんでした。先生には非アルコールプロポリスを飲んでいるのを言っていませんでしたので、熱が出ないのが不思議なようでした。」
 再度壊疸を取り除く手術を受け、術後は消毒治療が続けられました。しかし医大病院には壊疸に対する積極的治療を行う機械がないとのことで、T病院へ転院し、高圧酸素ガマ(体全体に新鮮な空気を送り込んで、体の活性化を図っていくもの)による治療を行い、平成七年十月末退院。
 「骨肉腫はガンのなかでもかなり進行が早く、骨から肺、肺から頭と転移が認められる病気だそうです。ですから母も退院してからしばらくは一週間に一度、二週間に一度というような割合で検査をしていました。けれどその間も非アルコールプロポリスを飲み続けていたので私どもは心配していませんでした」
 同年十二月、再び脂肪腫が見つかり検査。しかし、結果は骨肉腫ではありませんでした。「定期検査も十二月に一度、四ケ月に一度が、半年に一度とその間隔がだんだんと延びていき、先生からは『あと一年だけお付き合い下さい』と言われるまでに経過は順調でした。でも病院で同室に同じ様な病気の患者さんが、十八歳の方をはじめ入院されていましたが、現在生きているのは母だけなんです。それだけ骨肉腫は恐ろしい病気なんですね」

 退院後は二年間リハビリに通い、当初先生からは『足に装具をつけて杖を使わなくては歩くのは無理』と言われたそうですが、現在は足はつっぱるようですが何も持たずに自分で歩き、車の運転もしているそうです。普段は非アルコールプロポリスを一日15ccから20cc飲んで、体調があまり良くない時や疲れた時には量を増やしたりして加減しているそうです。
 医師の誤診や病院の不注意による感染など度重なる不運に見舞われた高田さんですが、奇跡的な回復をされた陰にはご家族の手厚い看護はいうまでもありませんが、なによりもご本人が病気を治すんだという強い意志を持ち、根気強く非アルコールプロポリスを飲み続けられた賜ではないでしょうか。

一言アドバイス 

 骨肉腫は非上皮性悪性腫瘍*で、一般的には外科治療、化学治療、放射線治療法が行われます。手術療法は以前は切断まですることが多かったのですが、今は縮小療法の傾向で少しでも正常部を残すように努力されています。壊疸菌は酸素を必要としない嫌気性菌なので高圧酸素療法などが行われます。この方の場合も、プロポリスの免疲力増強作用によって、病気より回復されており、現在も体力維持にも服用されているようなので、このまま維持された方が良いと思います,

*上皮性悪性腫瘍と非上皮性悪性腫瘍
 癌は発生した組織や細胞の違いで上皮性、非上皮性に分けられています。上皮性悪性腫瘍は、上皮細胞(皮膚粘膜・いろいろな臓器を構成している細胞)から生じるもので「癌腫」と呼ばれ、非上皮性悪性腫瘍は、結合組織(組織と組織をつなぎ合わせている組織)や筋細胞(筋肉を構成.している組織)から生じるもので「肉腫|と呼ばれます。

壊疸とは
 壊疸は神経障害や血管障害で血液の循環が悪いうえに、細菌の感染が加わっておこります。
 生体のある局所部分の組織、細胞が死ぬ、または死んでいる状態(壊死)に引き続きおこるもので、壊死に陥った組織が、外界の影響や特殊な徹生物の作用で乾燥して、褐色または黒色となったり、腐敗して悪臭を放つことを言います。
目次へ↑

 今や世界はまさにインターネット時代を迎えています。
 リ・ホーンの会々員からも現在三名の方がホームページを発信して、ご自分や身内の体験談を発表しています。今回はその中の一人、Oさんのホームページをこ紹介します。
 その前に、インターネットはURL(Uniform Resource Locator)というそのページに与えられた住所表示のようなものがあります。Oさんの場合、http://www2.biglobe.ne.jpです。インターネットをご使用の方は是井御覧になってください。

末期胃癌からの生還
 私の父が胃癌になった日から現在までの、父と私達家族の様子や気持ちを書いたものです。
 父が胃癌と聞かされてから私達はどん底に突き落とされ不安な毎日でした。
 その父が今、元気に孫と公園で走り回っています。五年前の私と同じ思いをされている方に、少しでも力になれたらと思い、ホームページにしました。
 父が胃癌で、手術したのにあと半年。藁をもっかむ思いで必死にかけた一本の電話。それが「リ・ホーンの会」でした。そのおかげて現在の父がいます。

胃がなくなってからの食事
 今まで大きなお茶碗二杯食べていた父。手術後すぐはほとんど食べられず、初めて食べたのがアイスクリ−ム。今でも犬好物です。

リ・ボーンの会について

 以前勤めていた会社の同僚に紹介して貰った「リ・ボーンの会」。ここでは父の事で今でもいろいろとアドバイスをして貰っていよす。
 メールはこちらへお願いします。

  m-oomori@msb.biglobe.ne.jp

 Oさんは最後に次のように述べています。
 「ホームページを問いてからお問い合わせ頂きご紹介した方の中でも、癌が進みすぎていて入会出来ない方が多くいらっしやいました。是非、何ケ月も経つ前に(軽い食率がとれるうち)お問い合わせ頂き、一人でも多くの方に元気になって頂きたいと願っています」

                      ◇   ◇   ◇


編集後記】

 今回皆さまから数多くの闘病生活の様子を聞かせて頂き、その病気に立ち向かう努力と勇気に頭が下がりました。私自身、三年前ガンの宣告を受け、縁あって幸運にも非アルコールプロポリスとの出会いがありました、以来、これを頼りに今日まで頑張っています。

 本当に今回は皆さまが.元気にご活躍されている様子を伺うことができて、大変うれしく思います。ありがとうございました。                             秋山

目次へ↑